名前: 德永 光彦(とくなが てるひこ)
自己紹介: 生年月日: 1977年02月11日
出身地: 広島県福山市
職業: あなたにとって、最高の人生は何か(目的)を、
一緒に考え、コーチングやアドラー心理学など(手段)を用いて、未来と現在を結ぶ橋渡しをしています。
(カウンセリング、コーチング、セミナー講師など)
~末永く徳を実践し、人に光を当てる太陽の子からのメッセージ~
(ひ)(こ)
「環境が人をつくる」って言葉をご存じですか?
「環境」には実体がありませんが、「人」は実体があります。
具現化した「人」を見ると、その集団が見えてきます。 そう思いませんか?
これは、『犯人捜し、勇気くじきの社会をなくしたい』私の挑戦物語。
アドラーの言葉
「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。
解決法と可能性に集中すべきだ」
職場でも、家庭でも、問題が起きたとき「原因分析」をしっかりやっていませんか?
「誰がやったんだ?」「担当は誰だ?」
「なんでこうなったんだ?」「問題が起きた原因は何か?」
「なぜ見落としてしまったんだ」「なんで確認しないんだお前は…」
TVのワイドショーまでもが、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と問い、原因分析をする。
それを見て洗脳された親までもが、子供に対して「なぜ?」と繰り返す。
これが今、現代の日本が患う慢性的な病気のように私は思えます。
原因究明の名の下に、ミスや失敗を二度と繰り返さないようにと言う「善なる目的」。
親や、先生、会社の上司たちは、それを「よかれ」と思って行っています。
しかし、この原因分析が思わぬ「勇気くじき」を引き起こしていることに気づいている人は少ないでしょう。
「担当は誰だ?誰がやったんだ?」
このように追求されたとき、「あなたはどう感じますでしょうか?」
①きっと、私は今「責められている(攻撃されている)」と感じるでしょう。
②もしかしたら、自己防衛本能が働き「いいわけ」「責任転嫁」「自己欺瞞」が始まるかもしれません。(危険や敵から自分の身を守る為の本能なので納得できます)
原因分析の多くの場合、「犯人捜し」と「吊るし上げ(対象者への攻撃)」になるのです。そして、問題を引き起こしてしまった担当者は「犯罪者」のように扱われ、罰を受けていると感じます。
一方、幸いにして「犯罪者」に挙げられなかった他の人たちは、ホッと胸を撫で下ろしつつも、「私は、失敗しないようにしよう」「吊るし上げられないようにしよう」と恐怖を感じながら、監視の目にビクビクオドオド仕事や生活をするようになるでしょう。
これは、「良い家族」「良い社内環境」ましてや「良い社会」なのでしょうか?…
問題の原因を分析し、適切な対策を取る。これは、物理学の発想です。工場でモノを造る際には、とても有効的な考え方ですが、それを人間に応用してはいけないと思うのです。
私自身も、
「なんでこんなことしたの?」
「誰がやったんだ?またお前がやったんだろう」
と幼少のころより責め立てられ、勇気をくじかれつつ大きくなりました。
大人になった今、よく分かります。
だからこそ、この「原因論社会」「勇気くじき社会」を無くしたいと本気で思っています。
原因究明は、子供や部下にとって「ダメ出し」にしか見えず、相手は「勇気をくじかれ」て建設的に生きる勇気を失ってしまいます。
つまり、勇気をくじかれた相手は、困難に挑戦することなく諦めて、課題から逃げ出すようになってしまうのです。
今や、社会には勇気をくじかれた大人達が沢山溢れている。
その影響は、家族や子供にまで蔓延しつつある…
もう勇気をくじかれた人を、これ以上増やしたくない。 これが、私の想いです。
『さぁ、勇気づけしよう』
是非、心理学を優先して「勇気づけのコミュニケーションを取りましょう」つまり、原因分析を止めて、解決や可能性に焦点を合わせる。
「今回と同じ問題をくり返さないためには、どのような対策を取ったらいいだろう?」
「もし、もう一度できるとしたら、今度はどうしたい?」
それにより、叱るべき場面でさえ相手の長所に気づき、相手を勇気づける事につながるかもしれません。